三たび新井紀子「AI vs. 教科書が読めない子供たち」についての話題

キッズプログラミング

西垣 千葉 雅也 AIが絶対に人間を超えられない「根本的な理由」を知ってますか」http://gendai.ismedia.jp/articles/-/56564

のなかで、

「シンギュラリティなんて、そんなもの来ないよ、荒唐無稽だよ」と批判するだけなら誰でもできるんです。でも、なぜGoogleやマイクロソフトはそれに膨大な資金を投入しているのか。〉

と述べられているんですが、

〈彼らは・・・・・、やっぱりビジネスでやっているんだし、その背景には、何か崇高な知性がロジックの連鎖の中に出現するんだ、という考え方がどうもありそうだと。〉

と推測しています。

行き着く先には神が待っているとでもいうことでしょうか。

これは面白い指摘ですね。

「国語ゼミ」NHK出版新書・佐藤優 のなかで

神学的思考とシンギュラリティのアナロジーを論じていて、

両者の間には〈「有限な公理系のなかから無限の外部を導出できる」〉という根っこがあると述べています。

〈公理とは数学や論理学の用語で、無根拠で前提とされるルールのこと。つまり、他の命題を導き出すために導入される最も基本的な仮定です。

例えば、「二直線が交わるとすれば、それは一点においてである」というのは証明不要の公理(自明な真理)で、この公理を前提として様々な定理が導き出されることになる。〉

〈16世紀には、カルバン派とルター派の間で、キリストの人性と神性を巡って、無限有限の関係についての大論争がありました。

無限や宇宙を有限によって全て包み込むことができると主張したルター派に対して、

カルバンは理解の及ばない外部性を認めた上で、公理系の枠の中でしか物事は判断できないと主張した。

つまり、唯物論やシンギュラリティを信じる人の主張はルター派に似ていて、公理系を尊重する人はカルバン派と親和的なんです。〉

と言っています。

つまり、Googleやマイクロソフト内にはルター派的考え方の人が多くいるかもしれないというわけです。

あっ、トランプ氏はカルバン派でしたね(^_-)。


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