三日坊主の早朝ウォーキング-6

三日坊主の早朝ウォーキング

今朝は病院のベットの上にいます。

昨日腎臓結石の手術があり、全身麻酔の上結果2週間後に再手術に決まりました。

一神教の誕生とその意義

私はキリスト教の信者ではありませんが、信仰を持つ方々から「信仰が心の平穏をもたらす」とよく聞きます。信仰生活は、外部から見る以上に豊かで穏やかなものであるかもしれません。

中世の西洋はしばしば「暗黒時代」と呼ばれますが、視点を変えると、その時代にも光が見えてきます。イオニアや古代ギリシャ哲学が「世界とは何か」「人間とは何か」を徹底的に探求していた一方、西アジアで誕生した一神教では、「世界はどのように創造されたのか?」という問いに対し、「神によって創造された」と答え、「なぜ、いかに生きるべきか?」には「神の御心のままに」とするものでした。

この一神教の考え方は、一見すると思考の停止を招くように思えるかもしれません。しかし、ヨーロッパではアリストテレスが欠けていた「現実社会での実践と実験」が、中世のカトリック教会が頂点に立った時代に行われました。当時の人々は「いかにして神の国に入るか?」を考え、学問、芸術、建築、巡礼、さらには錬金術に至るまで、さまざまな実践と実験を行っていたのです。

ユダヤ教の誕生と発展

ユダヤ教は、紀元前6世紀に西アジアで成立し、過酷な砂漠環境で生き抜いた古代イスラエル人(ヘブライ人)の生活に根ざしています。彼らは紀元前20世紀頃にパレスチナ地方(カナーン)に定住し、一部はエジプトへ移住しましたが、新たなファラオの下で奴隷として苦しい生活を余儀なくされました。

「出エジプト」の物語では、紀元前13世紀に預言者モーセに率いられたイスラエル人がエジプトを脱出し、カナーンを目指します。彼らはこの脱出を、唯一絶対の人格神ヤハウェによる救済と信じ、ヤハウェに従う民として契約を結びました。

イスラエル人は、選民思想を持ち、『十戒』に従って生きるようになりました。紀元前10世紀頃、ダビデ王とソロモン王の治世の下で経済的繁栄を享受しましたが、信仰の純粋性を失うこともあり、国家は分裂し、征服を経験しました。そして、新バビロニアの首都バビロンに連れ去られ、「バビロン捕囚」が起こりました。

この困難な状況下で、預言者たち、特にイザヤやエレミアは『十戒』を説き、神が救世主(メシア)をこの世に送るだろうと民衆に伝えました。ユダヤ人たちはヤハウェへの信仰を保ち、選民として、最後の審判の日に救世主による救済が訪れることを信じ、苦難の日々に耐えました。

紀元前538年に新バビロニアが滅亡し、イスラエル人はカナーンに戻り、エルサレムにヤハウェの神殿を再興しました。ここで、彼らは旧約聖書を聖典とするユダヤ教を確立し、民族宗教としてのユダヤ教が形作られました。この信仰は他民族には広がらず、苦難の中で彼らの精神的な拠り所となりました。

イエスの登場とその影響

紀元前1世紀後半、イスラエルはローマ帝国の支配下に置かれ、再び受難の時期を迎えます。祭司階級の「サドカイ派」と律法を文字通り解釈する「パリサイ派」は、ローマ帝国の支配を受け入れるのみで、貧困に苦しむ民衆を救うことはありませんでした。

そんな中、救世主を待ち望む民衆の願いに応えるかのように、「パリサイ派」から現れたのが、イエスでした。

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