三日坊主の早朝ウォーキング-10

三日坊主の早朝ウォーキング

 ローマ帝国とキリスト教の分裂:東西の対立と教会の形成

ローマ帝国は、キリスト教を国教として4世紀に大きな変革を迎えました。しかし、ゲルマン民族の大移動によって395年には東ローマ帝国(ビザンツ帝国)と西ローマ帝国に分裂します。

西ローマ帝国は476年に滅亡し、その後、フランク王国が台頭しました。フランク王国と協力して西ヨーロッパ世界を形成したのが、ローマ・カトリック教会です。この教会は教皇を最高指導者とし、地域の宗教的な権威を確立していきました。

偶像崇拝と教会の対立

原始キリスト教では偶像崇拝が禁止されていましたが、ローマ・カトリック教会はゲルマン人への布教活動において聖像を利用しました。しかし、726年に東ローマ帝国が聖像禁止令を発令したことにより、ローマ教会とコンスタンティノープル教会との対立が深まりました。

カール大帝とローマ教皇の関係

800年、フランク王国のカール大帝はローマ教皇からローマ皇帝の帝冠を授与されます。この「カールの戴冠」によって、ローマ教皇は西ヨーロッパ世界で重要な地位を確立しました。

キリスト教世界の東西分裂

11世紀半ば、キリスト教世界は「西」のローマ教皇を最高指導者とするローマ・カトリック教会と、「東」のビザンツ皇帝を最高指導者とするギリシャ正教会に完全に分裂しました。この分裂により、ローマ帝国以来の地中海世界は、西ヨーロッパ世界、東ヨーロッパ世界、イスラーム世界の三つに分かれ、それぞれ独自の歴史を歩むことになりました。

中世ヨーロッパとスコラ哲学

中世ヨーロッパは「キリスト教の時代」として知られています。この時代に発展したスコラ哲学は、神学と哲学を中心とする総合的な学問体系でした。当時、神学は最高の学問とされ、古代ギリシャ哲学や自然科学は低い地位に置かれていました。

しかし、十字軍の遠征による東西文化の交流が進むにつれ、スコラ哲学は合理化・体系化され、ローマ・カトリック教会唯一の公認哲学となりました。

トマス・アクィナスとスコラ哲学の大成

13世紀後半、イタリア出身のトマス・アクィナスは、スコラ哲学の大成者として知られています。彼は【理性(哲学)と信仰の区別】を論じ、理性が信仰を補う存在、すなわち「哲学は神学の侍女」という考えを提唱しました。これにより、信仰の優位を保ちつつ、両者の調和的な統合を図ったのです。

スコラ哲学の解体と近代哲学の先駆け

14世紀になると、普遍に実在性を認める実在論に対抗し、普遍的なものは概念や言葉でしかないとする唯名論が登場しました。イギリスの神学者で論理学者のウィリアム・オッカムは、信仰は証明不可能であるため、理性は信仰に対して無用であるとし、信仰と理性を分離させました。彼はスコラ哲学を解体した近代哲学の先駆者とされています。

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